校長あいさつ
学校長
城山を背景にどっしりと建っている現在の福島小学校校舎は、昭和56年に「白亜の殿堂」として改築された学び舎です。
本校は、明治5年向城の民家を借りて「文忠学校」として設立されました。その後、昭和2年に福島町大火で校舎が全焼するなど様々な困難がありながらも、昭和16年に福島国民学校、そして昭和22年に現在の福島小学校と改称されました。さらに、平成17年には4町村合併により木曽町立福島小学校となりました。その間、黒川小学校、上田小学校との統合も重ね、昨年(令和4年)150周年を迎えました。
校章は、福島小学校の始まりである「文忠学校」の設立のもととなった木曽代官山村家の紋所でもあり、小学校の「小」の字をかたどっている「丸に一文字」の周りに、三枚の葉が描かれています。この三枚の葉は、円満、人情、豊かさの象徴と伝えられており、城山に自生するベニマンサク(マルバノキ)の葉がデザインされています。実はこのベニマンサクは、四国・広島・岡山・福井・滋賀、そしてその東の端がこの木曽谷・伊那谷という、非常に特徴的な分布をしています。個々の個体も飛び石的に生育し、個体数も非常に少ない貴重な植物です。この校章には、150年の長い歴史や豊かな自然という学問的な意味合い、そしてこの学びの場への大きな期待と願いが込められています。
福島小学校は、木曽郡では一番大きな小学校として中心的な存在であり、全県・全郡の教職員の集会や研究大会が頻繁に行われています。今年度は中信地区学校人権教育連絡協議会、県視聴覚・放送教育研究協議会などの研究協議会を開催します。また「個別最適な学び」が求められる今日、信州大学教職員大学院とともに自由進度学習による個に応じた学習の研究を始めています。これはオープンスクールを取り入れ、画一的な学習からの脱却を図ろうとしてきた本校の目指してきた教育の具現にもつながるところといえます。
福島小学校の児童は令和3年度232名、令和4年度223名、そして本年度は205名と減少してきており、1・2年生は単級となりました。少子化の歯止めがなかなかかからない状況ではありますが、豊かな自然に囲まれたこの木曽町で、保護者や地域の方々に様々な面から支えていただきながら児童一人一人をしっかりと見つめ、学校・家庭・地域皆が協働して育てる福島小学校をめざしています。